「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観て

映画
溺れる

今帰ってきました深夜1時。

本当は別の記事を書く予定でしたが、急遽変更して書いています。

いや、格好つけました。今日は何も書いてませんでした。記事のストックも、作品づくりも一切してません。いつもお世話になっているワンダーピースの中川さんに会いにいき(寂しかった)、少し喋って、帰りにいちいち買いに行くのが面倒だからと思って食料のストックを三週間分爆買いした(お金ないくせに)、それだけの日でした。

最近はずっと6時に起きて、ライブ配信をし、部屋の掃除をして、外に出かける(作品づくりorUber)をして夜に帰ってきて、またライブ配信しながら、ブログを書き、絵を描き、深夜まで作業して寝て、6時に起きる。

こんな生活をしていました。まあ楽しいんですが、なにか調味料が足りない。

そんな中、「人間失格」を観にいきました。

しかし、「太宰治」という人物は知っていても、作品も知らない、小説も読んだことない、ただ、今日の自分を見た時に「人間失格」だなと思って急に思い立ち、映画館に走っていきました。

ただただ自分と同じ人間失格なやつを見たかったそれだけのために観に行きました。動機なんそんなちっぽけなもんです。

 

 

とても惨めで、可哀相で、哀れで、美しいものでした。

※あ、この先ネタバレします。

この映画は「人間失格」を原作にしているわけではなく、

太宰治と3人の女性との関係における実話を基に描かれているフィクション作品です。

 

 

 

男の本能、女の本能の描写が素晴らしく、キャストたちに染み付いてるのが心地よくて、ずっとニヤニヤしてました。なにより主演の小栗旬という太宰治がとても人間臭く、純粋で素直でした。

追い込まれて、追い込んで、どんどん人間じゃなくなっていく姿をみるのはとても興味深く、たまに垣間見える「死と生の狭間」に魅了されました。

小説家としての「太宰治」と、人間としての「津島修治」の心が壊れていき、酒とタバコと女に溺れて、ついには結核に体を侵されていく。

しかし、生きようとする力は強く、どこか「生」への執着が見えました。

終盤のシーンでもそう感じる部分が多く

人間はどこまでいっても「生きたい」と思うんだなと感じました。

 

監督は蜷川実花さん。やっぱり「すげえ」と思いました。

音響、ライティング、構図、表情、自然や花を使った心情や情景。

こんなん作ったら気持ちがいいだろうなと。

 

僕は人に憧れないんですが、その分「悔しい」と思ってしまいます。

なんでだろう。謎です。

 

だからこそ、もっと考えてもっと動いて、いい作品を作ります。

何もかも足りない。

映画はR15です

屋上でフリマ

そして何と今日16日(祝)はワンダーピースの屋上でフリーマーケットです。

作品を発注したにもかかわらず、データの種類が、、とかサイズが、、とかデータチェックに時間かかっているだとか、納品は3日ですって書いてたのに、そこから発送です、って

全然、間に合わへんやん。ってなってます。

なので手持ちの作品はゼロ、何もなしです。

夏休みの最終日に何一つ宿題やってないみたいな感じです。

なので僕が売れる商品は「一つ」しかありません。

さぁ、今日が楽しみでーす。

 

「人間失格」

第一の手記

私は、どんな恥の多い生涯を送っていくのでしょう。

 

※オマージュです

盆栽。

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